貝のおいしい食べ方
ネタ不足。
注目URLにすがってみようかと思ったけどたいしてネタになりそうなのがありません。
というわけでなぜか貝の話をします。
俺は食わず嫌いが多い。
その中でも魚介類は特に嫌いなものが多く、貝もその一つである。
貝の食べ方って凄い独特、固く閉ざされた殻をこじあけたり、時には火であぶって無理やりあけて中身を出す。
貝の中身はそれはもうグロテスクで、見ただけで俺は食欲がなくなってしまう。
初めて貝を食べた人はなぜ、殻をこじあけて、あんな見た目がグロテスクなものを食べようって思ったんだろう。
不思議だな、俺だったらこじあけただけで食べようとは思わない、好きな人はゴメンナサイ。
しかし、貝がすきな人はそれがおいしいというわけだ、あんなグロテスクなものなのに、なぜオイシイんだろうか?
それにはまた人間の心理的な何かがあるのかもしれない。
たとえば貝を人に置き換えてみよう、人は誰しも心に固く閉ざされた貝を持っている。
誰だって自分の貝の殻を自ら開こうとはしないし、もしかしたら自分でも気づいてないかもしれない。
いわばヒミツである。
ヒミツを自ら他人にバラすことはない、っていうか簡単にバラしたらすでにヒミツじゃないし。
そして人は他人のヒミツが大好きなのである。
当然だ、ヒミツだし、聞けるものなら聞きたいものだ。
しかし逆に自分のヒミツを知られるのはイヤなものである。
当然だ、ヒミツだし、言うわけがない。
人間はなんとも矛盾した生き物だ、だがそれが人間である。
そして俺が生まれるずっと昔は、人のヒミツなんかを火あぶりなどの拷問にかけて無理やりききだしていた。
恐ろしい時代である、今がそんなものがなくて本当によかった、まあ場合によってはあるんだろうけど。
そしてその固く閉ざされた貝の中身は決まって、グロテスクであり、深く暗いものであることが多い。
明るい内容であればヒミツにする必要もないからである。
そして貝の中身は殻が固ければ固いほど、自分のもっとも弱い部分、弱点となる。
もちろん人によってはたいしたこともなければ、重く、深く黒いこともある。
しかしそんな弱点を他人に教えるなどできるわけがない。
もしその弱点を他人に教えたならば、その人を心から信頼し、仲の深い関係であるからこそであろう。
それはとても素晴らしいことであり、理想の関係である、現実はそう甘くは無いが。
信頼できる相手、それはつまり相談者である。
教師や親友なんかがそれにあたる、悩み事を打ち明ければスッキリもするし、もしかしたら解決するかもしれない。
自分一人で抱え込むのはとても辛く、苦しく、一人で解決するのはとても難しい。
だからこそ心から語り合える他人が必要なのである。
たとえどんなヒミツでも、解決できるならこれほどよいことはない。
もちろん、悩みなどは解決したあとに更に増え続けるのだが…それは自然現象でありどうすることもできない。
しかし、一人で抱え込み、悩みは絶え間なく増え続ける、するとどうなるのか?
貝の中身は腐り、中から体中を蝕んで行くだろう、そして二度と貝が開くことは、無い。
恐ろしい話である、これは誰にでも言えることだが、相談者は作っておくことをオススメする。
…ここまで長文を打ってきたが、人のヒミツと貝の話、どことなく繋がる部分がある。
きっと人は、閉じているものは開けたくなるものだろう。
だってRPGの勇者だって、他人の家でも扉があれば開ける、それと同じだ。
そして必ずカギがかかった扉もある、固く閉ざされた扉ほどレアなアイテムがあるかもしれない、これも同じ。
だが、そんなカギのかかった扉も必ず開けられるのである、ゲーム進まないし。
つまり悩みも同じ、自分の殻に閉じこもれば確かに安全だ、しかし動けない。
ずーっと動かず、ただ貝のようにうずくまっているだけでは、自らの道をも断ってしまうのだ。
だからこそ時として勇気が必要なのだ、自ら貝を開き、前に進む勇気。
前に進むことはとても勇気がいることである、一人じゃとても無理かもしれない。
だが考えて欲しい、一人ではないのである、いざというときには皆味方だ。
そして皆で力を合わせる前に、一つだけ一人でやらなければならないことがある。
それは貝を開くことだ、閉じている貝は助けることもできない。
自分と共感してくれ、助けてくれる仲間は必ず居る、しかしそれは自分の貝を開いてからの話だ。
時として一人でやらなければいけないことがある、それが自分の貝を自分で開くことである。
そう、自ら殻を破らなければ、人生というゲームは進まないのだから…